ガーランドのお仕事
白い本。黒い本。藍色の本。まばらに隙間の開いた本棚の脇にはそんな格調高い本達が無残にも平積みされている。それぞれの本を見やっては本棚に戻す。
それぞれ、魔術の研究をしていた者のメモであったり日記であったり、それらを纏めた魔道書と呼ばれる物。それは今の文明では完全に解明できないものばかりだ。
今はまだ解明できずとも時代を過ぎて土台を固める事によって、新たな理論を受け入れれるだけの知識を得ることが出来るようになる。そう信じて魔術師達は日々研究を続けている。
前文明の栄華へと近づくためだ。ただ、その文明は自らの力におぼれ最後には完全に瓦解してしまったのだが。愚かと言われるかもしれないが、その力は文化を飛躍させる為には欠かせないものだという確信はある。
そんな崩壊した文明の遺産達を整理する仕事をしている。
こんなことをするのは新人の仕事だという事はわかってはいるが、整理する方法を提示するのは骨だった。そういう感情がこの作業を止めてくれない。整理する法則があまりに煩雑だったからだ。
そんな暇な仕事を続けていると色々と無駄なことを考えてしまう。作業の手が鈍らない程度に雑念を広げて黙々と続けた。
部屋の中は暗い。太陽や火の明かりが本に痛みを与えてしまうため使うことが出来ないからだ。そのため、この部屋には日を入れる窓も作られては居ない。
本をしまう音だけが響く部屋に不和が生じる。扉が開く音だった。
「ガーランドさん、いらっしゃいますか?」
「エイスか? ここだ」
暗がりを裂く光の中に一つの人影があった。お互いよく知った仲であるエイスだ。彼が魔法を唱える声がする。それと共に彼の持っていた杖に明かりが灯る。
彼は私を見つけると、小さく息を止め言った。
「こんな暗い中でよく作業できますね」
「このゴーグルがあれば問題ない」
「それを使うのは控えたんじゃなかったんですか」
「こう長時間続けてるとな、魔法を何回も使うのはきついじゃないか」
「それならもっと、鍛錬を積めば良い話ですよ」
「私は魔術師であることに向かないからな」
「では、ガーランドが魔道を捨ててまで選んだ知識の力を貸してもらえませんか」
そういってエイスは一つの指輪を差し出した。
「見事な朱色だな。金属の煌きもよい。よい細工と細工師なら言うのだろうな……古代中期の品物か。少し毛並みが違う作品のようだ。文字系列の作りが独特……というよりは、全く新しい物なのだろうな」
「……つまりは?」
「あまり見かけないものだ。流行もしなかった技術だったはず……どこかで見た記憶がある探してみよう」
指輪をエイスに戻し、目的の本棚まで歩き出す。魔力の掛かったゴーグルによって真昼と同じ明るさで暗室を見ることができる。数十人を入れて小さな劇が披露出来るほど大きい書庫を見渡して目的の物を思い出す。
「これだろうか? 強化魔術の限界への挑戦」
錆色をした厚い本を棚から取り出し、記憶を頼りにあたりをつけて指輪の情報を探す。
「3/24。強化魔術の効率化と出力の調整に成功。続いて……8/15呪文字の重ねあわせに成功。このあたりだったか1/6発表するも強化魔術に対する評価は低かった。6/8これにて研究を廃棄する。肉体強化魔道具研究はこれからの文化発展には望まれていないようだ」
古代の研究者の日記をパラパラとめくり要約して読み上げる。それをエイスに渡した。
「文化の役には立てなかった知識ということですか」
「そのようだ。こんな所は今も昔も変わらないんだな」
「兄さんもくじ運が悪い」
「……あいつの研究対象だったのか」
あからさまに苦悶の表情を浮かべる。
「手伝わなきゃよかったなんてのは無しですよ」
「そうは言わないさ。拒否したらこの書斎を荒らしに来るに違いない」
「相違はありませんね」
そういってお互いに苦笑しあう。私をライバル視する一人の魔術師の顔が浮かんだ。実力はあるのだが、どうも相対的に物を見すぎる点がある。時折、前触れもなく巻き込まれる事もあった。遠い昔のことだが。
「学生時代の頃はなにかしらでぶつかってたな。なつかしい」
「そうでしたね」
「殴りあいにならなければ大歓迎だったんだが……と話の腰が折れたな。その指輪に書いてあるのは古代文字の集合体みたいな物で、単語を重ね合わせて表面積の狭い指輪にも高度な強化魔術を付与する事が出来たそうだ」
「魔術のミクロ化ということですか」
エイスの相槌を肯いて返す。
「その指輪の魔力は、純粋に筋力を増加させるものだけだ。人間にしか効果はない。ついでに精神力も消費する、あまり出来の良い物じゃないかもな。その時期は、巨大な魔術装置を作って天変地異を作り上げようとしていた時期と合致する。見事に流行とは逆を言った研究者のようだな」
「それは無念でしたでしょうね」
「貴族の遊戯みたいな物だろうがな。今の時代にどう流用できるかはやり方次第ということだ」
私の言葉にエイスは短くはっきりと返事をした。
「ガーランドもそろそろ引き上げたほうがいいですよ。もう終業の鐘がなってから火時計が一回りしています」
「もうそんな時間だったのか……そう言われると腹も減ってくる」
「続けるのでしたら、何かしら持ってきますよ」
エイスの好意をうけとめつつも、整理作業に対する鬱憤に勝てず首を振る。
「今日はここで打ち止めだ。続きは明日やる事にするさ」
「そうですか。ではこれで失礼します。お疲れ様でした」
「お疲れ様だ」
エイスに先ほどの書物を受け渡し帰る準備を始める。
今日に限ってここには入る者はいないだろうと思い、本をそのままに、扉に施錠の魔法を掛けた。
ノブのみで鍵穴のない簡素な扉。だが施錠の魔法によって閉ざされる。それを突破することが出来るのは魔法のみ。どれだけ腕の良い盗賊であろうとも、鍵穴がなければ鍵を開けることは出来ない。
前文明が今に伝える技術の一つだ。今はまだ広く活用されてはいないが魔術がもっと浸透していけばこの技術も生かされてくるだろう。
ゴーグルをはずして目を凝らす。枯葉も舞う秋の風に揺れる火を頼りに廊下を歩いていく。やはり使いすぎるのはよくない。目が魔法による明るさに慣れすぎて火の光では先を見やるのは難しい。
矛盾しているのはわかっていたが思わずにはいられなかった。魔術の便利さが生む不便さを。
「待ってください、兄さん」
「ガーランドッ! この盗人野郎が!」
数週間変わらず諸本の整理が続いている部屋に怒号が響く。エイスとその兄。ハザルの声だった。
「聞きたくもない声が聞こえたな」
神妙不可思議なことをわめき散らす男にうっとうしいと言うように返す。
「ついにお前を除名するきっかけが出来たよ」
「ガーランドが犯人なわけないですよ。冷静になってください」
「一体どうした?」
いきり立つハザルを抑えるエイスに顔を向ける。
「指輪を盗んだ犯人として同行願おうか」
「おまえは黙ってていいから」
「昨日のことなんですが、前に鑑定を頼んだ指輪が盗まれたんです」
ハザルの言い分を聞き流してエイスに事情を聞く。どうやら盗難の容疑者となったようだ。
「私の現場不在証明が欲しいという事か」
「無駄に知識を振り回すな。アリバイでいいだろ」
「ハザルがいなきゃそう言ってた」
「この状況でからかわないでください」
慌てて仲裁に入るエイスを気の毒にも思わず、その日のことを思い出す。
「何分、久しぶりだったからな。アリバイについてだが、ここ数日はこの書庫で諸本の整理をしていたから……ないな」
そういって大いに笑う。
「だから、からかわないでください」
「ということはだ」
「といっても盗難する事情がないだろう?」
私の返答にハザルは強い口調で反論する
「あるだろう。知識で勝てぬ私に暴力で対抗してきたお前なら充分当てはまる」
「何年前の話をしているんだ。あれは私の覚えていない理論で事を推し進めようとしたから止めただけだ」
「あの時のアザは半月は取れなかったぞ」
「ガーランドも兄さんも、不毛な言い合いはやめてください」
多少気分が高揚してきたところで、エイスに止められた。それと同時に外から新たな客人がみえる。
「先生……ハザル導師もエイス君も、もういたのね」
客人はソレイユだった。いつものローブ姿とは違い相談受付に使われる制服を着ている。
「そろそろしたら生徒達……野次馬も来ますのでもう解散したほうがいいですよ」
ソレイユの一言でハザルは固まる。とてもそうはみえないのだがどうやら秘密裏で動いているようだ。
「今ならまだアホな導師のケンカですむ。私室に戻ったらどうだ?」
「お前が同行してくれればこんな手間はせん」
行かないとは言ってはいない。しかし、行こうとも思わない。
「ひとまず戻りましょう兄さん」
「何かあったらすぐにでも除名を上部に進言する用意があるからな」
そういって二人は書庫を後にする。外から複数の足音が響いていた。すかさず書庫の扉を閉めて魔法で施錠を施す。それと同時にソレイユは明かりの魔法を唱える。彼女の肩周りを中心に光がひろがっていった。
「いつもの発作ってわけじゃなさそうだが、何か知ってるか?」
ソレイユは首を横に振り否定する。
「ノヴァが導師が先生を見つける前に逃がして、と知らせてくれたんだけど遅かったわね」
「ノヴァに聞かなきゃわからないということか」
「呼んで来ましょうか」
「頼む。もうすこしで整理も一段落つく、いい気分転換になりそうだ」
「自分が容疑者なのに?」
「そうだったのか? あれこそいつもの発作だと思う」
「お互い様だと思います」
「違いない」
ソレイユは苦笑いを浮かべて開錠の言葉を呟く。扉は蝶番が軽く軋む音と共に開いた。
彼女が戻るまでに諸本の整理を終えるため、手早く作業に戻った。
前に鑑定した指輪。合言葉で筋力増加を促す古代文明の遺産。たしかに特異な能力を生み出す魔法の装飾品だがその汎用性は薄い。何かに使うとしてもひどく個人的な目的で使われる代物だろう。詳しい状況がわからないが、そんなものを必要とする者は限られる。
強化魔術にコンプレックスを持つ者の仕業。突発的な犯行なのだろうか。純粋に換金目的なのか。
色々と犯人に対する動機を頭の中で張り巡らせるが手がかりになるものは一つもない。あくまで犯人の指向を想像するものに過ぎなかった。
諸本の整理を終え、軽く体をほぐしながら思考を整えていると、扉が開いた。
弟子であり魂の兄弟であるノヴァだ。後からソレイユも入ってくる。
「つけられてないですよね」
「後ろ見ながら来たけど、そんなのいなかったわよ」
「さて、1から話してもらおうか……その前に移動しようか。そろそろ昼だろうし」
ソレイユは悲鳴に似た声をあげる。
「仕事ほっぽってた。人いませんように」
「……まだのようだな」
「そろそろなのには変わりありませんけどね」
一呼吸おいた間に鐘の音が鳴り響く。正午を告げる鐘の音だ。
「落ち着いた場所で話を聞けそうだな」
「できれば手短にすませたかったんですけどね。導師にまたいらなく突っかかれるのは私なんですから」
「エイスにでも泣きついてくれ。そこまで面倒は見きれない」
泣き言を言うノヴァの話を半分以上聞き流しながら、個室が借りられる店のラインナップを思い出す。
「新しくオープンした店があるんですけど、行ってみませんか?」
「……別に個室でなくてもいいのか。なんかせがまれてるし」
「デリカシーがありませんよ」
しなやかな物言いを何気なく返す。明らかに失敗した。つつましい物越しでソレイユは静かに語る。
「すまん」
「いちゃつくのなら、抜けましょうか?」
「その気は……あるようでない」
「アホ」
主旨がずれたと思いつつも真正直に答える。二人に冷静な視線で返される。正直が美徳と後世に残した者の神経はきっとまともではない、と漠然と思った。
ソレイユが紹介した店はオープンカフェも構えた非常に広いところだった。白亜色の建物の一階部分は殆ど椅子とテーブル、そして人で埋め尽くされている。案の定、個室はなかったので店の角を使うことにした。
「事件……といって良いのでしょうか?」
「あいつが私のところまで来た時点でもう事件と判断してもいい」
「そういうことではないんですが……発覚したのは先日です。数人で使っていた実験室にある机の上に資料と共にその指輪は置いていたそうです。なくなった事に気づいたのは夕方過ぎでした。大半の研究者が帰宅してエイスさんも残った仕事を終えて帰ろうとした時になくなっていたのがわかったそうです」
ノヴァの話を半分にソレイユは各自の食事をオーダーしている。周りを見ると女性客のほうが多かった。半数は私達を物珍しく見ている。明らかに場違いだという事はわかった。
「つまりは、皆そんなに指輪は気にしてなかったみたいだね」
「先生が答えをだしてしまったものですから、ハザル導師は早急に資料をまとめて提出するように指示したそうです。腫れ物をわざわざ触りはしませんよ」
「それは、経費削減に貢献できたというものだ」
「……それはいいのですが、そういう訳で半ば放置されていた物が無くなったということで最初は誰かが片付けたと思っていたのですが、調べていくと紛失していたという事に気がつきました」
「それにしても、時期が悪い」
半年に一度入る異なる派閥の監査が一月後に迫っている事を思い出す。お互いの派閥同士監査委員を送り出し、足を引っ張り合うのだ。明らかな不正や事件が見つかれば、上部に報告されその派閥は解体または縮小されるだろう。大きな派閥は2つあり現在は、お互い共に派閥間との争いはないが、それゆえに大きな立場の変動は少ない。そのため同じ派閥の中にある小さなグループ同士で足を引っ張り合うはめになっている。
「そうなんですよね。それでなんとか私達で調査して解決しようとしている所です」
「それで、最初の白羽の矢に当たったのが私ということか」
「……実は、容疑者はもう固まっています」
意外、だとは思わない。実験室に他の人間が出入りする事は少ない。悲しい事にまず身内から疑う他はないのである。
「そうか。そうだろうな」
「そいつは、導師について回ってた奴で」
「あいつにか?」
「先生だって弟子を取って仕事してるじゃないですか」
「お互い、いつまでも学生って訳じゃないですからね」
信じられない事を聞いて不意に視線をノヴァから外す。それを見たのか二人とも思いのままに突っ込んだ。
「認めたくない事だ……あいつにも弟子がつくのか」
「気難しいところはありますけど、仕事はできますからね……って話がずれました。そいつは地方領主の出だそうなんですけど、最近になって家の方が傾いたって噂が」
「それなら聞いたことがあるが、そんな噂話ならしょっちゅう出るだろ。そんなに信憑性もないが」
ギルドに入る者は大きく二種類に分けられる。特待生と金持ち。研究者と顕示欲だ。
努力をもって難関を突破した優秀な者達と、貴族が肩書きの一つを手に入れるために金を払って入学する者達がいる。前者は往々にして純粋に勉学に励んでいる、励まざるを得ないともいえる。毎年一定ラインの成績と論文を提出しなければ特待生としての特権を剥奪される。それゆえに勉学に追われ外の世界とは疎遠になってしまうことが多い。それを煽りたてるのが金持ち達だ。自分よりも能力のある者達へのあからさまな嫌がらせ。
「そいつはいま、行方がわかりません。3日前から休みをとっています。予定では明日になれば戻るそうですが……」
「疑うに充分か。話が途中だったな。噂の信憑性はあるのか? あとそいつの名と、休んだと言っていたがその行き先も」
「調べているところですが、ないでしょう。名前はエドワード・ホップ、休みの届けは前々から取っていました。実家に戻ると言っていました」
「この状況では素直に実家に戻ったという確証はないか。こちらでも調べてみよう」
話が一段落ついたところで食事が添えられた。何も言わずとも5人前出てくるところに感嘆の意を述べる。
「パンにチーズとワインがあればいい。野菜が添えられればなおよし」
「ここの店の量だと、先生には足りなさそうでしたから大目に頼んでおきましたよ」
「流石は、ソレイユだ。聡いね」
「……なんでなんだろう」
「先生にそれを求めるのは酷だと思います」
「確かに、そうかもね」
ソレイユは食事に取り掛かった私を見やって、軽くため息をつく。ノヴァはそれに同調しているようだった。
総務部。各部署の書記官がギルドの資金管理を行っている場所。ギルド内にいる全員の登録名簿の資料が保管されている場所でもある。毎年春先になると新入院生の登録やら寮の管理やらで賑わう場所も今は閑散としている。
前もって連絡していた派閥の書記官に名簿の閲覧を頼む。
「まさかガーランド君がこんなことしだすなんて、雹でも降るんじゃないか」
「段々、立つ瀬もなくなってきてますからね」
「……まさか、冗談ですよね」
「もちろん」
最近、彼女が出来たと浮かれている軽薄な男に心にもない冗談を飛ばす。その彼女が街中で違う男と歩いていたということは伏せておく。
名簿には10年の間に入学した院生の一覧が載っている。氏名から、住まい、お家柄、簡単な経歴、また毎年の学費が払われているのかといったことも載っている。
――エドワード・ホップ――
特待生ではないが、特待生入学試験の成績により数割の学費免除がされている院生。入学したのは今年、何もなければ年は12歳。出身は街から幾分離れた村を治める領主の息子。
領主になるための知識を得ることと貴族達とのつながりを持つためにここに来たのだろうか?
想像でしかないことは一旦置き続きを読む。
学費は問題なく支払われている。今年入学したのだから当然だろう。向こう一年分も先んじて支払っているようだ。
それでも、生活が良いほうではないようだ。特待生達が使う寮に入っている。
さすがに家の財産状況など載っていないため、資金繰りのほうはつかめるわけがない。ただ、平凡な新入院生であることはわかった。
細かい成績はまだ載ってはいない。大体、春に入る前に成績を見比べて免除額を決める。そのギリギリに提出するのが暗黙の了解になっているからだ。
「最初は、資料集めから入る。お前の癖だな」
「これはハザル導師殿。どのような御用でしょうか」
「用があるのはこいつだ。すまんが席をはずしてもらえるかな」
ハザルだ。書記官に速やかに去るように命じて私の方を見ている。書記官が立ち去るのを確認してからこちらへとにじり寄ってくる。
「あまり、大げさに動いてくれるなと言っておいたはずなんだがな」
「だったら、なんで書庫にまできたんだ? 目立つんだぞ、俺とお前のケンカってのは」
「いらん心配はするな。自供するまでは外部に漏らすつもりはない」
「エドワードは犯人じゃないということはわかる。だが、自供もできない」
ここにきて、つまらない掛け合いはしない。相手の確信をつく。
「……一体いつの間に、そうか。ノヴァの奴か」
「身内を信用しすぎてる……とは言わんが、事が知られたくなかったら、ノヴァの動向くらいは把握しておけ」
ハザルはその一言で押し黙るが間もなく反撃を開始する。
「どこまで聞いた?」
「容疑者はエドワード、動機は換金目的……というには金に困ったところはないがそれ以外に考えようは無いだろう。というところまでだ。あとは紛失が発覚した時間帯くらいか」
「本当にそれだけか?」
「判明したのは昨日だろ? そして、事故処理委員会に捜査依頼をしていない。それゆえに、そんなに情報も集まってはいない」
事故処理委員会。ギルド内最古の派閥が管轄している魔術の遺産で起きた事故を処理する部隊。ギルド中では一番、捜査能力に長けた人員達だ。この程度の紛失事件なら数刻もしないうちに殆どの内情を把握するだろう。
「……そうだな」
「事故処理を依頼できるのはその派閥の長のみ。そのお前が事故処理に依頼しないということは身内の犯行。と認識しているからだ」
「そんな戯言を聞く気はない」
「わかってる」
「でまかせを……」
そこで一旦、会話は途切れる。お互い伝えたいことは言い終えた。私はハザルに身内の調査を密にしろと、そしてハザルは自分達では調べられない外部の調査を。
「ここでやることはもうなさそうだな。お前が動くなというのなら私は適当に散歩でもしておくよ」
「せいぜい息継ぎでもしてろ。この穴熊野郎」
「そうさせてもらう、ぜ!」
言葉と同時に足も出す。全体重を乗せて相手の足の甲をカカトで踏みしめる。ハザルは男らしからぬ甲高い悲鳴をあげた。
「じゃーな、部屋に戻ってゆっくり治してろ」
捨て台詞を残して、なにか言葉にならない叫びを上げているハザルから早足で逃げる。
穴熊。魔術を行使できる魔術師とは違う、知識を伝承しようとする研究者達を蔑む敬称だ。私が嫌う言葉の一つでもある。
魔術を行使するには三つの要素を正確に行わなければならない。詠唱するための正確な音程、正確な身振り、そして精神を制御するための集中力。これのどれが欠けても魔術は発動しない。明かりや扉の施錠、魔力探知等、簡単な魔術を行使することも充分な訓練を積まなければ発動する事は出来ないほどに困難だ。
その三つの才に恵まれなかった者達は魔術を研究することから外され、本で埋もれた書庫の整理や魔術を行使できる魔術師達に使役することで居場所を確保している。それもかなわない者は人知れずギルドを去っていく。
魔術を行使できる者はそんな者達を蔑む目で見る。臆面もない人間なら自分の成功にまとわりつく寄生虫とまで言うこともあるくらいだ。それゆえにイザコザが絶える事はない。
新しい技術が発見されるたびに魔術を使うことの敷居は低くなっていくが、こうした風習は簡単に消えはしない。
「……確執か、今回の事件はどうなんだろうな」
外にある広場にはさんさんと日光が降り注いでいる。ベンチやカフェには魔術師を目指すためにペンを取る者、悠々自適と紅茶を飲んで談笑する者、休憩中の導師に必死になって教鞭をとってもらおうと交渉する者。
それぞれ過程は違えども皆、魔術師になるための道を歩む者達だ。
エドワードもそんな者達のうちの一人。結果はどうあれ私達先に行くものが、最低の結果を招かせないために動く。動きたいと思う。それだけは確かに胸の内にあった。
「久しぶりに本気をだそうかな」
似合わない台詞を一人こごちる。私は次の手がかりを求めてギルドを後にした。
冒険者と呼ばれる人種がいる。前文明の最後については歴史家の手によって大体の容貌が暴かれている。しかし、その実態を探し出す者ではない。前文明が作り出した遺産を探し当てる者がまたいるからだ。その総称が冒険者である。
都市部から外れた郊外を開拓する者達や、冒険者が探し出した遺跡から押収した諸本の中から。数々の手がかりを持って前文明の遺産を探し出している。
私はそんな者達が溜まり場にしている酒場にいた。昔馴染みの顔も見えた。最初は物珍しそうに冒険を離脱した私に一味違う冒険者の世事を教えてくれる。その見返りに求められるのは重要な情報源の一つであるギルドの内情であったり、私が持っている情報だ。
依頼という形で、遺跡の場所を教える事を伝えると酒場の中は騒然となる。相変わらず求める飯の種は少ないようだ。
「そんな約束していいのかな? 誤報だったら騒動になりそうだ」
一杯目のエールを空け、香草がふんだんに使われた燻り鳥に手をつけようとしていたところで後ろから声をかけられる。
「アルカテか」
振り返るともうその姿はない。姿勢を元に戻すと対面する形になっていた。あの一瞬で回り込み自分の席を確保していた。
一見すると子供のようだが、彼はれっきとした大人の男だ。草原を駆ける妖精族、前文明の崩壊からもなんなく逃げ延び、ほぼ原始へともどった文明化においてもたくましく自然に回帰していった種族。グラスランナーと呼ばれている。
したたかというだけではない図太さも兼ね備えた恐ろしい種族でもある。自らの肉体的なハンディを逆手にとって敵を作らない、そして異なる種族相手と共存していくという文化は荒廃した荒地に芽吹く草原の力強さを称えるに堪えるといえよう。
「大丈夫。ガーランドさんの情報だよ」
「……早速酔っ払ってるけど、どういった用事なんだい?」
「数個探ってもらいたい事があります」
冒険者の飯の種は少ない。遺跡を見つけて遺産を探し出せば巨万の富が手に入る。だが、それにありつけるものは少ない。そしてそれにありつけるまでのつなぎに冒険者達はそれぞれの特技を使って活動したり、また一般人では解決できない問題を排除または解消させるための何でも屋になる。
アルカテは器用な指先、誰にでも順応できる適応力という特色を生かした情報屋だ。副業にしていた吟遊詩人の仕事のほうが軌道に乗ったため今は冒険者を半分廃業して街中や劇場で調べを語っている。
「まさか情報捜査の仕事を任されると思わなかった」
「それじゃ一緒に遺跡にでも潜りますか?」
「それは勘弁。ぼくにはまだやりたいことがあるからね。話の種も尽きちゃいないし冒険に出向くのはまだまだ」
私はアルカテに持っている情報を伝えた。エドワードのこと。指輪の情報。事件に関する事は包みなく伝える。
「エドワードは今、実家に帰っていることになっている。領主の息子となれば送り迎えに馬車を使うだろう。それらが動いたかどうか。ホップ家の財産状況。後はハザル達の使っている実験室に出入りしていた者達の動向。最後のはパティを使おうと思う。ノヴァに頼んで忍び込ませるつもりだ」
「あの子を? 流石に、失敗するんじゃないかな……」
「それについては……その時だ。失敗してくれれば犯人がわかるかもしれないしな」
「スマートじゃないけど、ガーランドが良いのならそうするよ。こっちはこっちで調べ上げるよ」
「お願いします」
アルカテが注文していたのか、知らぬ間に給仕が食事と酒を置く。
「おごりでいいんだっけ?」
「いいよ。久しぶりの休憩日だし、俺ももうすこし飲んでいく」
「そりゃめずらしい。それじゃ世事に疎そうなガーランドに、酒の肴になるような話でもしようか」
「そりゃうれしいね。いつもソレイユに怪訝な顔をされるからな。一つくらい先に知っておきたい」
「一つ目。夜な夜な腕っ節を試すために酒場で乱闘する男」
「……俺でも使えんとおもう話だな」
「それじゃー、二つ目。怪奇! 夜空を駆ける赤き目をした怪人」
「俺はオカルト担当だったのか……そうなのか」
打ちひしがれる私にアルカテは容赦なく笑い話し続ける。
「残念だけどオカルトじゃないみたいだよ、実際に目撃者が多い」
「そりゃ……大変だな」
魔術の開発はなにも文明に利益だけを与えてくれる物じゃない。むしろ害だと考えている人のほうが多いのが現状である。前文明が滅んだことという事実から当然の答えでもあるのだが、それ以外にも……ある。
古代の研究者達が生み出した新しい種族。総称して魔獣と呼ばれている。三又の獣。石や金属で作られた巨人。疫病を撒き散らす一つ目の怪物。上げていけばきりがないほどに細分化された異形の生き物。そんな生き物達は強靭な生命力で今の時代でも生き延びている。
そんな化け物が人里にまぎれるが時折ある。そして小さな村なら一晩で壊滅してしまう。それほどの力を秘めている化け物達だ。
「実害が出てからじゃないと信用ならない。ありえない話だと思うよ」
「明日使える無駄知識になったかな?」
「ならん」
そういって苦笑した。さらに盛られていた肉を平らげて席を立つ。勘定をテーブルに置いて周りを見やる。皆それぞれ各人の名誉話を語ったり、それを聞いたり、冷やかしたりしている。男女が喧騒の中で静かに語り合うのも見える。その喧騒すら飲み込むような言い争いをしている者もいた。
「懐かしい?」
アルカテが不意に問いかけてくる。
「懐かしいな……だが、私にもやりたいことはある。まだ戻らんさ」
太陽も南中の高さに昇る頃、ノヴァは扉の前に立っていた。扉の脇には総合ハザル研究実験室と書かれた看板が付いている。
「どうしたんですか? さっさと空けてください」
ノヴァはその声に、怪訝な表情を浮かべて小さくため息をつく。
「どうしたんですか? しっかりしてください。ガドさんはばれない準備をしておいたって言ってたじゃないですか」
「そうは言ってもね。外部の人間をギルド内部に入れるだけでも問題なのに、自分の部内に連れ込むなんてそうそうないんだから。緊張だってするさ」
「……考えてみたら何で私がここにいるのでしょうか?」
「僕も読めないんだ、内部を調べるのなら私だけで済むはずなのに、わざわざパティが派遣されている」
お互い唸るように何か考えているようだが、答えには到達しなかったようだ。
「進めばわかることもありますよ。アルカテさんが探している情報ももう少しで届くそうですから、こっちも頑張らないと」
「夕方になれば、当の本人も来ると思うんだけど……」
「失礼いたします」
パティはノヴァの呟きを流し、慎ましい態度で扉を空ける。扉の先にはエイスと数人の魔術師がそれぞれ、自分の仕事をしている。
「外用に出てたノヴァじゃないですか。用事はおわったのですか?」
エイスの問いにノヴァはしっかりとした返事を返した。
「はい。それで、こちらが話をしてました。西方にあるベルダイン所属しているパティさんです」
ノヴァは手でパティを示しエイスに紹介する。フードを目深にかぶったパティの顔は半分以上見えないがエイスは怪訝な表情も浮かべず素直に受け止めている。
「パティと申します。どうぞよろしくお願いいたしますわ」
「こちらこそ。さて、力になれることでしたら存分に腕を振るいましょう」
「ありがとうございます。では、まとめられた魔術の資料を見せていただけますか」
「閲覧できる物でしたらすぐにご用意しましょう。こちらです」
エイスは流暢な、共用語で語りだす。パティはそれに礼儀正しく対応し、ノヴァだけはその二人のやりとりに表情を崩せずにいた。
「こちらのお嬢さんは、どういう経緯でこの研究室に?」
ノヴァが同僚の一人に不意に声をかけられる。ノヴァはなんとか肌だけを引きつらせるだけに抑える。
「前々から、視察にくるという事で進めてたみたいなんだ。それでここを紹介するように高導師様に言われてね。はるばるベルダインから来られたそうだよ」
「顔はよく見えなかったけど、ずいぶん若い女性みたいだね。ノヴァ、手は出すなよ」
「……それは、あちらが決めることじゃないか? 自重はするけど」
「ここで変な印象作られたら、ここの権威が下がるからな。是非ともそうしてもらいたいもんだ」
「何の、話をしてらっしゃるんですか?」
二人の小声でのやり取りに、パティが割り込む。
「パティさん。気にとめることではありませんよ」
「はじめまして。シュナードと申します。どうですかここは、芸術都市と呼ばれているベルダインとは違って質素なものでしょう」
「そんなことはありませんわ。さすが賢人の街と言われているだけのことはあります。故郷とは違って、精悍な街並みで羨ましいです」
「そういってもらえると、この街の職人達も誉れと思うでしょう」
まるで自分のことのように振舞うシェナードを、パティは幾分言葉を詰まらせながらも返す。
「……そうですね」
「これはお近づきの印に、私が作ったものですが」
シェナードは銀色の装飾された腕輪をパティに添えるように渡す。
「こいつの趣味でして、銀細工が得意なんですよ。共用語魔法の指輪を作るのもここじゃ彼がやってくれるんです。その上でこの中じゃ導師やエイスさんに次いだ実力の持ち主なんだよ」
「それは、素晴らしいですね」
「それほどでもありませんよ」
「ありがとうございます」
パティは早速、その腕輪を手首にかけた。顔の大半は隠れていても微笑の声は隠れずにもれる。
「準備が出来ました。こちらのほうへどうぞ」
丁度よくエイスに呼びかけられる。パティはシェナードに一礼してエイスのほうへを歩んでいった。
午前中に外用にでることはずいぶん久しぶりだと感じた。都市に移ってからは日が陰ていく様を見る機会のほうが多かった、日が昇っていく様に不思議な違和感を感じていた。
「ぼーっとしちゃって……」
「……だるい」
なじみの喫茶店で果汁飲料を取るも、一向にけだるさが抜けていかない体を無理やりに動かして起こす。
なれないことに体がついていかないということは、若くないという証明なのだろうか。数年の間、同じ作業ばかりしていたツケがここで返されているように感じてくる。
「頼まれてた事は調べ終えたよ」
「さすが、仕事が速い」
「馬車を預けられる宿屋だと絞りやすかったからね、あとは本拠地頼みだ」
「直接関わるのは怖いと思うけど、便利だなとは思う」
本来は本拠地という表現を使うのも危なげな場所なのだがと心の中で呟く。
アルカテが所属しているのは街の裏の部分、一般人には存在は知られつつも実態は掴まれていない組織。盗賊ギルドと呼ばれている。私の所属する魔術師ギルドが表の情報機関だとすれば盗賊ギルドは裏の情報機関といえるだろう。常日頃から街の一角や商業地で絶えず人々の声に耳を傾けている浮浪者のは半数は盗賊ギルドの情報員。中には貴族と結託して上層階級の情報を仕入れてくる口達者もいる。そうした情報を買うのもまた貴族だ。そして、盗賊ギルドに許可なく非合法の商品を売りさばけばその日のうちに処刑される。法をかいくぐった者が引っ掛かる、第二の法の網それが盗賊ギルド。
そうは言ってもその法に従っていれさえすれば安全で便利な機関だ。時折アルカテの力を借りるのもこの強大な諜報力を当てにしてのものである。
「ホップ家の財産状況は、可もなく不可もなくといったところかな。良心的な領主で必要以上に税収を徴収してないみたい。ただ、飢饉に対しての備えはしておく程度の甲斐性はあるらしいから、善意ある無能ってわけじゃないね。執事については4日前に宿に一泊したあと滞りなくチェックアウトしてる」
「実家に……帰ってる?」
「盗んでそのまま逃げたと過程すると、馬車に乗って街をでたってところか」
「何もなければ、今日には帰ってくるということか」
「……なんだそれは〜! そんなどうでもいいラインで動かされてたのか」
「調べられる情報は早いうちにそろえておいたほうが良い。後々になって消されてしまうことは少なくないからな」
「そんな大げさな事件かな」
「何事も、本気で取り組まなきゃな」
「ガーランドと一緒にしないでよ、こっちは足以外に金もかかるんだから」
「……そうだったな」
「ギルド内の事故処理委員会で過去最高のルーキーだっけ?」
「なつかしいなぁ……あそこはあそこで物騒でね。あんまり係わりたくない」
「お互い苦労しらずってことかな」
「違いない」
そういって笑い飛ばして話を打ち切った。そして小さな袋をアルカテに渡す。
「こいつは報酬です。情報料も含めているから、足りなかったら言ってください」
中身は宝石。金貨にして数十枚の価値があるものだ。
「とんとんかな。結構いい仕事になったよ。これで若い奴らを食事にでも誘おうかな」
「最近は、刈り取る相手はいなくなったのか?」
アルカテのはた迷惑な主義の一つに吟遊詩人の青田刈りというのがある。楽の才能のない若者の向かいで遠慮もなしに演奏を仕掛け客を総取りしてしまうという悪癖だ。彼なりの優しさなのだろうが、事情を知っている者からしてみれば完全な嫌がらせにしか見えない。その程度で潰れてしまうのであれば、才も根性もないということというのが本人の意らしい。
「まあね。そのかわり、弟子になりたいって根性ない奴もでてくるようになったけど、そういうのは要らないさ。けど、帰ってもらうのが惜しい奴はいる」
「そういうものなのか……魔術師ギルドって所は才能がなきゃ全く相手にされないが。それでも惜しい奴はいる。感性も、知識の積み重ねも、どちらもそう変わりは無いものなのだろうな」
「共通してるのは、どこまでいっても折れない根性。ただそれだけさ」
「違いない」
「そろそろ、ノヴァ達も潜入しに行った頃かな」
「そういえば、そんな時間か。色々と吹き込んでおいたがパティなら何とでも対応できるだろうし心配はいらないだろう。ノヴァのほうが危うい」
「女性相手ならもんだいないんだけどね」
「根本的に嘘をつくことが出来ない体質だからな。だが、女性関係にそれが反映しないところが……頭が痛い」
「性分。天性の才能だね」
「顔もいいからな。ノヴァは嘘をついていないゆえに悪質だ……まあいい飯にしよう」
日も高くなり、喫茶店は昼食をとる人達で込み合いはじめる。それに乗り遅れる前にウェイターを呼んだ。
ノヴァからの報告を待つためにギルドの合同談話所にある一席を陣取った。周りを見回せば入り口、学生寮、研究室へと続く通路と一通り観察する事ができる。
談話所といっても、街の食堂とそんなに代わらない場所だが、座った席は対面合わせて4人掛けの丸テーブルだったが、他に座るものはいない。周りでは副書を持った学生達が各々の課題を片付けている。
「すみません」
考えうる事の顛末を想像していたところに見事な横槍が入る。周りにいた学生の一人だろう。
「どうしました?」
「取り込み中のところ申し訳ありません。教えていただきたい事があるのですがお時間宜しいでしょうか?」
差迫った課題なのか、または単なる探究心なのか。答える事によって時間のつぶれ方は大きく異なる。無論、時間を取られるのは前者のほうである。
質問は後者のほうだった。彼に答えとその背景を簡潔にまとめ伝える。その上で、参考になる書物の名前も添えた。
「こんなところだろう。後は、しっかりとその魔術書を読み込んでいけば後々楽になるよ」
「ありがとうございます。ガーランド先生」
「どういたしまして」
仰々しく礼を述べる青年に、同じようにして返す。それから少し間をおくも青年は席を離れようとしなかった。
「どうかしたかな?」
「すみません。元先輩であるガーランド先生を試すような事をして……」
「ということは。君はカロザスさんの所の人か」
「……そんな。かつて自分が所属していた所ですよ。貴方だって師とは浅い関係じゃないはずだ」
憤慨しそうになる青年をなだめつつも反論する。
「そんなのは過去の話だ。あの人だってもう私には期待もしてない」
「そんなことはありません。師は今も貴方の事を気にかけています。師は言っていました貴方はハザル導師に並ぶ高い才能を持つ人だったと」
「だが俺は魔道を極めるに至る才はなかった。あのままあそこにいたら俺は派閥の面汚しにしかならないんじゃないか?」
その言葉と同時に青年は消沈する。
「それとあいつと一緒にしてくれるな。確かに学生時代は張り合ったりすることも多かったが、あいつに勝てた事なんかそうそうない。はっきりいって持ち上げすぎだよ。カロザスさんは、俺をね」
落ち込みたいのは俺のほうだ。と愚痴を吐きたくなるがそれを彼に向けるのはさすがに気が引けた。
「すみませんでした……失礼します」
力なく立ち上がり、礼を尽くして青年は去っていった。彼が完全に立ち去ったのを確認してから一つ呟く。
「なれないことはするもんじゃないのかな? なんだかとても厄日だ」
「なにわからない独り言いってるんですか」
背と首を後ろに曲げ背面を見やる。ノヴァが切羽詰った表情でまくし立てる。
「この姿勢で持ち上げられると非常に痛いのだが」
「この状況でなんで無気力化してるんですか! 早く来てください」
「どうしたんだ、一体?」
「エドワードの荷物から指輪と書物が出てきたんです。今研究室のほうで事情を聞いています」
「そうだったのか……意外な顛末だったな」
「一応、指輪を鑑定したんですから先生から言質は取るそうで、導師が連れて来いって」
「いくきねーが……行かざるを得ないか」
正直、先を聞くのが心苦しいがそうは言っていられない状況だ。ノヴァと一緒にハザルの研究室へと向かった。
研究室の扉の前にはパティがいた。事情が事情なのだから外に出されていたのだろう。隣にはギルド内の制服を来た男が立っている。一人で外に出すわけにもいかず誰かを付けたのだろう。
二人は暗い面持ちで無言を通していた。私の顔を見ると青年は怪訝にパティは緊張が解ける表情を見せた。
「ノヴァ! なんで、ガーランド先生を連れてるんだ」
「悪い。話は後」
男の間の抜けた声を遮り扉を開ける。ノヴァと私は滞りなく部屋へと入っていく。
「パティ、これで仕事は終わりだ。適当に戻っておいてくれ」
「わかりました」
その短いやり取りを呆然とした表情でみやる男を無視して扉をしっかりと閉めた。
扉の先はどこも同じ、白亜色の壁と四角い石畳を敷き詰めた部屋に机と棚が置かれている。
机から一脚だけ離れた椅子に座っているのがエドワードなのだろう。それを囲むように数人の魔術師が立っている。中にはエイスがいる。
「エイス。状況を教えてくれ」
「わかりました」
エドワードは昼を過ぎた所で研究所に戻ってきた。そして何事も無く土産を渡し、帰郷中の話をしていた。指輪と書物の所在を聞いたところ元の場所に戻した指輪は整理物の中に入れた答えられたがその場所を探しても物は出てこなかった、彼の荷物を探してみると指輪と書物が見つかったそうだ。
「彼は知らないと言っていますが、この状況ではどうしようもないでしょう」
「実物はどこだ?」
「こちらです」
エイスが示した先には朱色に輝く指輪と錆色の書物が置かれていた。どちらも見覚えのある物だった。本をパラパラと捲り確認する。前に見たものと一緒だった。
「ハザルはどうしてるんだ?」
「一通り調べ終わったら私室に戻りました。ひどくショックを受けているようで……」
「……そうか」
感傷に触れている時ではない。続いて指輪の見やる。複雑な文様が描かれた朱色の指輪。それも変わらない……はずなのだが。
「これは、魔力探知したのか?」
「いえ……なぜですか」
否定。その答えと同時にハザルのいる部屋の扉を蹴破る。軋んだ音と共に扉は勢いよく開いた。
扉の先にはいままで、見たことも無い消沈したハザルの姿があった。魂が抜けたように力なく椅子に座っている。
「相変わらず、爪が甘い。お前の悪癖だな」
「今は、お前と話したくない出て行ってくれ」
「断る。全てを調べ上げもせずに犯人特定なんてミスをお前にしてもらいたくない」
「……どういうことだ」
「たとえばこの指輪だ……よく確認したか」
「朱色の指輪。上位派閥のつまらん依頼だ。一瞥しただけで後はエイスに任せた」
「先を見るのはかまわないが頼まれ事くらいキチンと確認するんだな……これは偽者だ」
そういってハザルが愛用している杖を引ったくり力いっぱい指輪にこすり付ける。
「俺のヴァイクランが!」
それで気を取り直したのか。勢いよく席を立ち、杖を取り戻す。
「そっちに傷はつかん」
彼が持っているのは古代時代の遺産。魔術によって高い強度と形状保持が施されている、数百年たっても錆一つ浮かばない特別製の物だ。
「よく見てみろ。塗料が落ちてるだろ。これは文字通り真っ赤な偽物だ」
「そんな。では紋様は」
あの時に、一緒に確認していたエイスは驚愕の声をあげる。
「うまく似せて掘ったものだろう。実物をよく観察しないとこうはいかないだろうな。どうだ? 心当たりは」
一時、無表情となっていたハザルの顔色がだんだんと怒気をはらんだ物に変わっていく。
「……エイス。シェナードはどこだ?」
「彼は今、外用で出ています」
ハザルは小さく呟いた、それに答えるエイス。心当たりはあったようだ。
「話を聞く相手が増えたな。どうするんだ? 大将」
「お前にいわれなくてもッ!」
怒気を含みつつもハザルは毅然とした態度で部屋を出て行く。
「おまえはなんで扉を壊す!」
「ノリだ」
「……からかわないでください」
ハザルの怒号を冷ややかに受け流す。エイスはそれに力なく突っ込んだ。
先進的な都市といえど夜になればその姿の大半は闇へと没する。点々と漏れる屋内の光により夜目にはなれずにいる。道は星の光も吸い込んで僅かに影をみせるだけだ。
「なんでお前までついてくるんだ」
「魔術を使う人間が逃げている……いや、逃げることになればひとりで行くのは危険なんじゃないか?」
「ではお前を壁にする」
「セオリーではあるが癪だな。それとおれは戦士じゃないし、前衛でもない」
魔術師は後方にまわり、前衛の援護をする。また前衛である戦士は魔術師が魔術を行使できるように援護する。
「……それじゃそっちのちっこいのに任せるのか?」
「断る」
ハザルの上げるつもりも無い提案に、アルカテは短くしっかりとした返答をする。
「きまりだな」
「きまってたまるか」
シェナードがいる酒場への経路を突き止めたアルカテの案内でハザルと私はその場所へと歩んでいる。運良く仕事が終わっても引き上げていなかったパティにつなぎを頼み迅速な対応ができた結果だ。
アルカテが言い放ったくだらない噂話のひとつがシェナードの事だったとは思わなかった。不確実な情報に人員を割くことはしないという教訓が仇になったのか。くだらない自己嫌悪を取り払い真っ直ぐと進んでいく。もやもやとした物が胸の奥で渦巻いている……早く終わって欲しい、その思いが足をさらに早くしていった。
シェナードがいるという酒場に到着した。いかにもな場末の酒場だ、周りの家とは違い木造の粗末な物だ、柱以外の部屋の壁は所々穴が開いており光が漏れている。
「私が先に参りましょうか?」
「勝手にしろ、俺にぶつからないようにするんだな」
「それじゃ譲るしかあるまいに」
店の前で立ち止まるハザルに発破をかける。彼は私の予想通りの答えを返して店へと入っていった。アルカテと共にハザルに連れ添うように続いていく。
店の中は凄惨とはいかずとも、活気という言葉が入る隙も無いものだった。ならず者だろうか、数人が酒を煽りながら簡単な賭け事に熱中している。
目的の人物はすぐに見つかった。数人の取り巻きに囲まれながら、なにやら話し込んでいる。ハザルはそれに躊躇無く踏み込んでいった。
ボスに位置する場所にいる者がシェナードなのだろう。外出するための服は他の者に比べて身なりがいい貴族出身なのだろう。それにハザルはゆっくりとだが悠然と口火を切った。
「シェナード……申し開きはあるか?」
相手はハザルに気づいていなかった。両脇にいる女性との会話にやっきとなっている、相手の女性の示唆でハザルの存在に気づき顔色は蒼白な者に変わっていく。そうして二人はしばらく押し黙りお互いとにらみ合っている。シェナードはだんだんと落ち着きを取り戻すと共に不敵な笑みを浮かべ動揺した様子が消えさると同時に一言呟いた。
「……最悪の展開ですね導師」
ハザルは微動だにしない。相手はため息をつきながら話を続けた。
「つまらない仕事だったじゃないですか、いつものように部下に任せて自分の研究をしていればよかったんです……盗難でしたっけ? なんで大事にしちゃったんですか。紛失ということにしておけばただの事故ですんだでしょうに。無様になれないことをして信用していた弟子を容疑者に仕立てて……何がしたかったのでしょうか導師」
それでもハザルは黙ったままだ。やむなく私は間に入る。
「それでは、指輪を持ち出し報告すらしなかったのは君なんだね」
「……そうです。はじめまして、塔で最高峰の知識と実力をもつ穴熊さん……でしたっけ」
「導師程度の侮蔑なんて、蚊ほどにも感じんよ」
相手は眉一つ動かす程度に表情を変化させただけだったが、内情はそうではない。
「所詮は穴熊、俺たち魔術師達の寄生虫でしかない。それに違いなんてないだろう?」
「君に取り巻いてる連中もそんな輩なんだろうな」
あからさまな挑発にシェナードを取り巻いていた男たちは顔を上気させ立ち上がる。
「シェナードさん。いつものようにやっちまえばいいじゃないですか」
そうして構えを作って私に向かい合う。相手は私の服装を見て侮っている。確かに体格は立派なものだ、船着場で水夫をしているような屈強な者。だが、殴りあいには慣れているようではあるが戦士としての技術は持っていないようだった。
大げさに腕を振るい真正面から拳を突き立ててくる。それを片足を後ろに運び体をそらして回避する。間髪いれずに残ったほうの腕で殴りかかってくるが紙一重で回避する。そんなやり取りを数回繰り返す。そのうちに相手の動きもだんだんと突出してくる物に変わっていく。それを狙い体を低く構える、相手のみぞおちに思い切り体当たりを入れた。
延々と逃げ続けていた私の反撃に気づかず無防備で一撃を受けた相手はそれを確認する暇も無く意識が途切れる。そのまま大の字を作る格好で後ろに倒れた。
場に動揺が広がる。周りの反応が観戦から緩やかな恐怖に変わっていく。その恐怖が恐慌に変わる前に名乗りをあげる。
「俺を知らないとは素人か? 元冒険者のガーランド・ジースの名前を知らないとは言わせないぜ!」
その名乗りで一人の内情が見る見るうちに驚愕のものへと変わっていく。その者に目線を向けて叫ぶ。
「あんたは知ってるみたいだな。どうだ? ここは、治めてくれないか?」
あんたと呼ばれた男はすくむと同時に黙り込んでしまった。その間に残りの男達は私を四方から囲むように立っている。そのうちの二人はナイフを構えて、残り二人も前後に立ち構えを取っている。
「そいつは凄腕の冒険者一味のリーダーだった男だ。俺らじゃどうしようもない」
「いや、ガーランドはその中じゃ頭脳担当だ。戦士としての実力はそんなに高くない複数で攻め入れば問題ない」
戦いを止めることを淡く期待していたのだが、シェナードの怒号によってかき消された。
「それでも素人に遅れをとるほど軟弱じゃないんだがな」
「3年も穴蔵暮らしをしていた男の体だ。さっきのも相手の動きに合わせてぶつかっていっただけ、複数でいけば倒せる」
「……そうですか。アルカテ半分頼むは」
複数相手には先手必勝しかない。右にいた相手の武器を肉厚の靴で蹴り上げ、同時に体当たりで吹き飛ばす。その間に後ろにいた奴が呻く声をあげているアルカテがうまくやったのだろう。残り二人は一瞬の出来事に身動ぎもできないでいた。そのまま武器を持ってないほうに駆け寄りアゴを拳で殴る。相手は足から崩れ落ちる。
アルカテはまだナイフを持っていた相手と格闘していた。
「突っ立ってないで手、貸してくれ〜」
「アルカテと連携取ったことないからなー」
戦いながらも余裕のある様子で会話しつつ。だが、放っておくわけにもいかなかった。手近にあった椅子を持ち上げて相手に叩きつける。運良く椅子の背もたれの部分が肩に当たり相手は武器を落とす、それに同調してアルカテは手に持っていたスプーンを相手の脇に突き立て昏倒させる。腕力が弱くともそれを一点に集中すれば同等に戦える。彼なりのやり方だ。
他にも数人いたようだが、もう戦うつもりはなさそうだ。再度シェナードと向き合う。
「さて、私が穴熊なのは置いておきましょう。動機はなんだったんですか?」
「ガーランド」
ハザルが止める。私はそれに肩を竦めて息を抜いた。一拍おいてから胸にしまっていた手の平大の銅鏡をシェナードに放り投げる。それと同時に胸に渦巻いていた嫌な感覚は消えていく。
銅鏡はシェナードの胸にあたり足元に落ちた。それをシェナードは足で払い飛ばす。
「最初はつまらないものでしたよ。酒の上での言い争いでした。俺が貴族なのにこんなところで飲んでるなんて陳腐な挑発。それでも私には抗う術なんて無かった。使え……無かったと言ったほうがいいでしょうか?」
「無かったでいい。が確実だ」
止めたというのに黙ったままのハザルを見て、やむなく返す。
シェナードが言っているのは魔術を行使するかどうか迷った。だが、使わなかったということだ。魔術師ギルドではギルド外、特に街中での魔術の行使をきつく禁じている。ギルドに属する者が魔術事故を起こすことはギルドだけではなく魔術自体に対する印象をも悪くしかねない。
「……よかった。けど、私の自尊心を潰すことには変わりなかった。もっていても扱えない力に価値があるのだろうか。そんなくだらない言葉が頭の中で反芻するんです」
「でも捨てられない……か」
シェナードはそれに反射的に肯く。魔術師は長い期間を使って魔術を習得する。中には幼少の頃から魔術習得のために懸命に励む者もいる。貴族や長年魔術師の家柄で育つ者ほどその傾向は多くなっていく。彼もそうした者の一人なのだろう。それゆえに、魔術という価値観は絶対的な物になっていることが多い。清廉な宗教家のように魔術を信奉する者になってしまうのだ。
「私たちの見つけ出せた物は少ない。だけど、それでも彼らに証明することはできたんです」
「それで強化魔術の指輪か」
「惨めなものです。立ち位置が違うだけ、扱う力が違うゆえにこんな手段をとらざるを得なかった。それで私の中の何かが変わったのでしょう」
「ニセの指輪を作ったのも君か」
「はい。よく出来た物でしたでしょう? こんなことが無ければ自慢したい一品でした」
「それをエドワードの荷物の中に忍ばせたのもか」
その問いにシェナードはやぶ蚊を追うようなそぶりで受け流す。その態度にハザルは堰を切ったかのごとく叫ぶ。
「シェナード! 貴様は詫びる事もしないのか?! 俺にエイスにエドにノヴァに……俺たちに!」
精気すら感じさせないような眼光で私達を眺めるシェナードにハザルは続ける。
「貴様がやったことは大罪だ。私たちに不和を呼んだ、あまつさえエドに罪を着せた。俺の弟子であり皆の後輩の男をだ」
詰まることなくハザルは言い知らしめた。それにシェナードは深いため息をついて間を空けた後に意を決めたような、だが意思を感じさせない声色で呟く。
「エドワード……あんな地方領主の息子程度の者が私を差し置いて導師に付くことになるとは予想打にもしていませんでした。私は導師に付いてさらに上を目指す。貴方に並んでギルドの頂点へと進みたかった。いづれは貴方をも超えたかった。だが、それも彼の出現で潰えました。貴方はわかっていないでしょうが、どう無茶に動こうと貴方の立場はギルドの中で揺ぎ無いものだった。それに追従する事が最高の道だ。それを掴むために努力した。どんな事も我慢できた。貴方のその暴虐さでさえ」
なにも言えないハザルにシェナードは続ける。
「そこから何かがずれていく感じがした。日々感じているこの違和感を打ち消すために、また努力もした、経験も積んだ。だけど、戻っていくことはない。そうしているうちに……こうなってしまった。そうして、こうやって間違ってしまった。もう……戻れない」
ハザルは叫ぶ。
「シェナード! そんなことか。そんなことなのか?! そんなもんで、エドを後輩を貶めたのか!」
「言ったでしょう。そうしたのは導師だと。ただ少しだけ貴方とエドとの間に溝が出来ればよかった。そうです……ただの紛失騒ぎにしておけばよかった。指輪が偽者だと気づかなければよかった。穴熊を巻き込まなければよかった……貴方が気づかなければよかった」
「言い訳なんぞ聞きたくない! 貴様を私が弟子にすると思うのか? それだけの腕があってなんで私の弟子だ、貴様は仲間だ。今も! 俺たちの! まだ戻れる」
「やめてください……あなたらしくない! なんで今なんだ。いや、そんな嘘を言うのか。あのハザルが!」
シェナードは声を荒げてハザルを制止させようとする。その顔には僅かな精気と動揺がみて現れる。
「ありえないんだよ! もうそんな事も聞きたくない。もう傷つけて欲しくないんだ! 捨てていってくれ。私を」
「でも捨てられないんだよ。彼はね」
私は疲弊している二人に向けて静かに語る。
「いつも唯我独尊で、独りよがりの孤高の男を気取ってはいるが、ハザルはそんな奴じゃないのさ。こうやって間違って、取り返しのつかない事をした奴すら、心配してるんじゃないのか?」
「聞こえてないんじゃない?」
「……そうだな」
アルカテの的を得た物言いに、短く返す。今度は語気を強めて言い放つ。
「シェナード! さっきから、胸の内、内情が少し違うのに気がつかないか? 先ほど投げつけた銅鏡の効果だ。それはな、相手の考えている方向性を知る事が出来るもの、心を読む魔道具ってやつだ。ハザルの言っていることに嘘はないだろう?」
怒号に短く身震いをしたシェナードはそれを聞いて崩れ去るように号泣する。
「……言葉ってのは難しいもんだ。どこまでいってもな」
頭をかいて一人こごちるように、呟く。それと同時に扉の開く音が響く。ノヴァだった。
「……終わったんですね」
「いいタイミングなのか、遅いのかは問わない」
「ガーランド……」
「ハザル、シェナードをつれて戻れ。ここの始末は俺とアルカテで着けておく。ノヴァはハザルに付いて行ってくれ」
「いわれなくとも、そうさせてもらう……手間をかけたな」
ばつの悪い面持ちのハザルになにごともないように返す。
「とんでもございません」
ノヴァは事情を聞くこともなく、シェナードに駆け寄る。泣き崩れる彼に肩を貸した。ハザルもそれに順ずるように、反対側の肩を無理やり持ち上げ店を後にしていった。
「あとはあっちでなるようになってくれだな」
「雨降って地固まるって言葉が見事に当てはまるような話だったね」
「ハザルには丁度いい薬さ。いい機会だった」
「はいはい」
空気の抜けたような物言いに、前触れもなく叩こうと手で凪ぐがアルカテは影のように音もさせずに居た場所から消えていた。
あの夜から3日たった。夜に泣き崩れて戻る魔術師の噂は持ち上がったが結末は深酒からの騒ぎというオチが付いて終わっていた。ハザルの派閥で密やかに起きた事件は露呈していないようだった。
ノヴァからも詳しい話は聞いていない。彼らの中の問題は彼らで解決するし私も興味はなかったからだ。ただ、その日の後にエドワードから短くだが顛末は告げられた。
彼は、落ち込んでいる様子ではあったが絶望に落ちている訳ではなかった。シェナードは不問とされたが休みを取っていることとハザルは幾分か気落ちした様子だったということ、エイスは後になってからノヴァにパティや捜査のことについてすべて説明させていたということなどだ。そして、力なく笑い私に礼を述べてくれた。それに対しては謙遜して返した。ついでに、ハザルを支えておいてくれということも頼んでおいた。後にソレイユからは、大人になったんですね。という辛辣な賞賛を受けたことを付属しておく。
いつものように、ギルドの合同談話所の一席を使い、久しぶりに朝食後の紅茶を楽しんでいた。ぼんやりと外を眺める。そうして佇んでいるいたところにわざわざ対面のところに座る者が現れた。
「どうだったかな。ガーランド君、久しぶりの仕事は?」
しわがれてはいるがはっきりとした問答をする声。かつての師、カロザス高導師だった。
「あれは仕事ではありませんよ。ただの探し物です。それに私の仕事は他にあります」
「実にいい手際だったと思うよ。昔を思い出す……君が私の元を去ってからもう十年になるのか」
「長いのか、短いのか」
「報告を聞いて久々に胸が高鳴ったよ。君の腕が鈍っていないことには感激すら覚える」
「……それはどうも」
子供のように喜ぶ老いた魔術師に、ため息交じりで礼を述べる。
「ガーランド君。戻ってくる気はないのかね? まだ、私がいる内になら戻る事はたやすい。君なら今からであってもハザルと並ぶことが出来るだろう。私は期待しているんだ」
「……お断りします。今の仕事が気に入っていますからね」
「噂は耳にしているよ、誰よりも魔術の知識に長けた者とも呼ばれているそうな。そしてその知識を持って魔道具の力を詳細に解き明かす。私たちのように実地で効力を示す事はしないがその成果は折り紙付きだとね」
カロザス氏は一呼吸整えてから再度口を開く。
「だが、そんなことではいかん。私たちのように実績として示さなくてはな。君にはその力があると私は保証するよ」
度し難いとはこのこと。
子供を諭すように説得する彼を見て、私は幾ばくかの哀愁すら覚えた。彼の言葉に呟くように、だが怒気を含めて返す。
「私は若かった、何も告げずとも……いや、告げる勇気がなかったゆえか」
「どういうことかね?」
「確かに私には力がなかった、ハザルに対しても勝てる気がしなかった。しかし、私が貴方の元から去ったのはまったく別なんですよ」
私の物言いに少々の不機嫌さを見せながらも、話を続けさせるように促した。
「私は導かれてここに来た! ここで多くのことを学んだ! 魔術を知ることも知識を蓄える事、私には楽しい時間だった。そしてその知識は人を、文化をよりよい物にすることだと教えられた」
「そうだな。私が最初に教えたことだ」
「だがね、現実は違った。知恵の持たない。いや、その知識をもってしても解読できない魔道具。確かに高度な道具だ! 私たちに使いこなせる物じゃない? 全く現実と違うんだ」
「過去の栄華にすがって、自分の足元が見えてない。そんな奴の後始末。そんなものをやらされて、どれだけ魔道具が不遇な物なのか痛感した。魔術師の能力のなさにもだ」
「ガーランド君、話がみえないのだが……」
「それだけならまだいい。その上で、自分の足元しか見てねえ奴! そんな奴らがやったこと。それが私を冒険者にさせた。それがギルドから、ここから逃げ出した理由なんですよ」
これで彼は事情を飲み込めていないようだった。私は深く息を抜き、引きつった表情を整える。
「……これが10年前に言いたかった事なんでしょう。多分……ですので戻る事は出来ません。私は私のなすべきことをするだけです」
「……そうか、また話せたらよいな」
「ええ、それでは失礼したします」
カップを空にして私は早々とその場から抜け出した。
また書庫に戻る。光のないあの場所へと、その光を惜しむように外を見やる。葉っぱは赤々と染まり、風はそれを舞い上げるように散らしている。
私は遠く昔のことを、森に囲まれて過ごした幼少の頃を思い出しながら書庫の扉を開いた。
|